麻生です。
今日は東日本大震災からちょうど10年目ですね。
現在10代後半以上の日本人の殆どが、あの日自分が何処にいて何をしていたかを克明に覚えていると思いますが、私のその中の1人です。
当時のことを覚えている日本人が1億人いるとすると、1億通りの物語がありますが、今回は私の経験を書かせてもらいます。
あの時、私は妻と、友人でドイツに住んでいる日本人女性と3人で食事をしていました。
友人が翌日にドイツに戻るので、久しぶり食事でもということで。
場所は大手町の丸ビル35階にある寿司屋さんです。
地震は急激に感じたものではなく、何となく揺れているのかなという感覚から始まりました。
そのうち、フロア全体が窓に対して左右に大きく揺れているのがわかりました。
窓の外を見ると、隣にある新丸ビルが自分たちのいる丸ビルとは反対の方向で左右に揺れています。
新丸ビルでも多くの人達が私たちのいる丸ビルを見ています。まるで映画を見ているようでした。
私はとてつもない恐怖を感じ、内心パニックでした。
外を見ると沢山の建設中のビルに設置されているクレーンが大きく揺れていて、遠くの方では火災も発生しており、揺れもなかなか収まらず、このビルも数分後には倒壊し自分の人生も終わりかなと思ったほどです。
しかし、女性2人は落ち着いて普通に会話をし、食事も止めていなかったことを覚えています。私は食欲も失せたんですけどね。
女性が男性より強いと思ったことは人生で幾度もありますが、このときは心底そう思いましたよ。
35階から地上に降りることができたのは、数時間後だったと思います。
友人はルフトハンザの客室乗務員なのですが、翌日に成田からハンブルグ行きの便へ仕事としての搭乗予定があり、そのため海浜幕張にあるホテルに戻る必要がありました。
しかし、電車は動いておらずタクシーも捕まらないので、私が車で送ることにし3人で浅草にある自宅マンションまで2時間かけて歩いて戻りました。
マンションのエレベータは止まっていたため12Fの自宅まで階段で上がり、ドアを開けたら部屋の中はひどい有様でした。
この写真は当時の我が家のリビングですが、殆ど全ての家具が倒れ、いろんな物が床に散らばってます。
突っ張り棒と一体型の本棚も、無残に倒れ床に本が散らばっています。
丸ビルでは、テーブルの上のグラスが倒れることも無かったので、とても驚きました。
免震と耐震の違いなのかもしれません。
自宅から車で海浜幕張に向かいました。
途中何度も、走行中でも感じるほどの余震がありました。
大勢の帰宅難民が千葉方面に歩いていましたが、東京から離れるほど足が重くなり、中には足を引きずって歩いている人もいたりして、とても気の毒に思いました。
友人をホテルに送り届けたのは、翌日の早朝でした。渋滞のため12時間ほどかかったわけです。
自宅への復路も往路と同じく12時間ほどかかり、眠気との戦いでしたが、ラジオから聞こえてくるのは、福島原発の不気味なニュースでその内容が眠気覚ましでした。
やっと我が家に帰ったのは既に日が暮れていました。
数日後、ドイツに戻った友人からメールが届き、早く日本を脱出した方が良いということでした。
当時ドイツでは、「制御不能となった原発がまもなく大爆発を引き起こし破壊的な大災害を引き起こす。」という趣旨のニュースが繰り返し流れていて、ドイツ人の殆どが「日本政府は日本国民に本当のことを伝えていない。日本は本当にやばい。」と本気で考えていたらしいです。
一方、当時の私の周囲ではあまり緊張感が無く、「日本は過去、広島と長崎に原爆が落とされたけど、今では両都市とも普通に人々が暮らしているじゃないか。」と考える人もいて、確かにそれはその通りですね。
何か危機的な状況になると、極端な不安を抱く人やその対局に不安がる人を馬鹿にする人がいて、両方とも少数ですがそういう人達は自分の意見を社会に発信したがります。
いわゆるノイジーマイノリティーというやつですね。
でも、大半の人はその中間にいて、ちょっと不安ながらも普通に生活しているんですよね。
そして、自分の意見を社会に発信するモチベーションはありません。
いわゆるサイレントマジョリティーです。
これって、今も同じですね。
新型コロナウィルスの件でやたらと不安をあおる人いる一方、風邪と同じだと主張する人もいて、そのような主張をする人は両極端。
大半の人達はその中間で首をかしげながら生きているんですよね。
冒頭で、1億通りの物語があると書きましたが、あの日またはその後の関連死を含めると2万2千以上もの物語りが終わってしまったことを忘れてはいけません。
東北で実際に被害に遭った人や、家族友人を無くした人の物語に比べると、私のはあまりに脳天気なものです。
今こうして生きていられることには感謝しかありませんよね。
当時の地震・津波・原発事故の被害は、今でも全く収束してないということを再認識しましょう。