2020/05/28

コロナによるStay Home生活から「働く」を考えた

 2年数か月ぶりにブログを書きます。

 今回、会社から久々に課せられたブログのテーマは「コロナ」。このウイルスの世界的な蔓延は日本やその他の国々で大勢の人々の交流を妨げる結果となり、弊社でも自分を含め多くの社員がリモートワークや自宅待機による「Stay Home」を継続中です。

 そこで先日、Zoomを使ったリモート懇親会を実施。モニター越しに10人前後の社員が集まり、近況や今後などをビール片手に雑談を交えながら語り合いました。僕も日付が変わる前後まで会話に加わり、自宅にも関わらず「そろそろ終電なので」と自分でもワケの分からないことをいって端末の電源をOFF。静まり返った部屋で「以前みたいに集まれるのはいつになるだろう」と思いながら、布団に潜りこみました。

 政府の緊急事態宣言を受け「Stay Home」を続けて2ヶ月。ほぼ外出を控えた生活の中で「社会を支えているのは人の仕事である」という、ある缶コーヒーのCMのパクりみたいなことをつくづく痛感させられています。朝のゴミ出しや日用品の買い物、注文した荷物受け取り、電気や水道、ガスなどのインフラ利用や公共機関の窓口など、どんな場面でも「自分以外の誰か」の仕事が日常を支えている。分かっているつもりでいたけれどそれをここまで可視化されると「働く」ということについて考えざるを得ません。

 考えてみるとこの社会は「人の仕事」を軽んじていたと最近の自分は思います。その最たるものが「AI」ムーブメント。人工知能で人間の携わる仕事はどんどん減っていくだろう。そんな煽り文句と共にメディアは「AI社会で生き残る仕事!生き残れない仕事!」みたいなランク付けをよく行っているのを見ましたが、そのランク付けで「廃れる仕事」とされてきたのはお店の従業員や荷物の配達人など、この非常事態において注目を浴びている「エッセンシャルワーカー」の方々の仕事でした。

 確かにAIが進歩すれば労働も単純化、簡略化されてコストも人件費も大幅に削減。だけど、この国が「緊急事態」に陥っている現在、そのビジョンはどこか僕には『机上の空論』に思えます。AIが進歩した結果、多くの業務が人いらずとなった時にまた「コロナ」みたいなウイルスの出現やAIのシステム不具合発生時にギリギリのところで社会を支えるものは何か?誰か?その辺りをもう一度この社会は考えるべきなのかもしれません。そして、同時にこの先も僕らはITという分野で「仕事」を通じて誰かの生活を支えていけたらいいなと思う…思っていますよね皆さん?

その辺を次回のリモート懇親会で絡ませていただくのでそのつもりで。

お知らせTOP